2006年09月23日
伊藤若冲がやってくる! その6

前売り券を買ってきました。当日1300円のところが1100円になっています。半券を持っていると、2回目以降は団体料金(1000円)で鑑賞できると書いてます。
大人は当日1300円ですが、大学生は900円、高校生は700円、そして中学生以下の入場は無料です!11月5日までの期間中、毎週月曜日は休館日(ただし、10月9日は開館 10月10日が休館)になっています。
前売り券に使われているのは伊藤若冲の「旭日雄鶏図」です。
この券では鶏の部分だけ使用されているのですが、全体図を見ると鶏の頭の上の方に赤く丸い太陽が描かれています。絵のタイトルにもあるように鶏が朝陽に向かっているような構図になっています。松の枝にすくっと立つ鶏が展示会が始まるファンファーレを鳴らしているようにも見えます。
■伊藤若冲がやってくる・その2・その3・その4・その5
■「若冲と江戸絵画」展HP
■「若冲と江戸絵画」展 オフィシャルブログ
2006年09月21日
戒厳令下
タイでクーデターが起きた。全権を掌握した軍と警察で構成する「民主改革評議会」は全土に戒厳令を布告した。
憲法廃止が宣言され、上下両院・内閣・憲法裁判所が停止された戒厳令下の社会がどのようなものなのかボクは知らないが「戒厳令下」という曲はよく知っている。

「戒厳令下」はソウル・フラワー・ユニオンの『ワタツミ・ヤマツミ』に収録されている『ワタツミ・ヤマツミ』は1994年10月に発表された彼らの2枚目のアルバムだ。
ソウル・フラワー・ユニオンはニューエスト・モデルとメスカリン・ドライブが発展的融合を果たしたバンドだ。ソウルフラワーレーベルを運営していた両バンドはライブやレコーディングをともにおこなっていた。
当時、交互にアルバムリリースをしていたニューエストとメスカリンであるが、ソウル・フラワー・ユニオンになって発表されたファースト『カムイ・イピリマ』はメスカリン主導のアルバムで、それに続く『ワタツミ・ヤマツミ』はニューエスト後期に演奏されていた曲がほとんどだった。
ボクのロックゴコロはこの当時ニューエスト〜ソウルフラワーの音に朝も昼も夜も寝ても覚めてもめろめろでした。
ニューエスト後期のライブは毎回スリリングでボクはライブの度に強く激しい官能を味わっていました。
最新型と名付けられたニューエスト・モデルはパンクからロック、そしてブラックミュージックやファンク、民族音楽までアルバム発表毎にどん欲に取り入れ、ライブの度に咀嚼し、常に最新型を目指しているバンドでした。
ソウル・フラワー・ユニオンは『ワタツミ・ヤマツミ』の発表された翌年におきた「阪神・淡路大震災」直後より、ユニオンと平行してソウル・フラワー・モノノケ・サミットの活動を始め、次第にボクのロックゴコロを激しく揺さぶることはなくなっていった。『シャローム・サラーム』 『極東戦線異状なし!? 』はよかったんだけどなぁ・・・。
そんなソウルフラワーの21世紀の発表された曲をまとめた『ゴースト・ヒッツ 00〜06』が最近発売されました。初回プレスは5曲入りのDVDも突いていてかなりお得です。どうせなら80年代後半からソウル・フラワー結成頃までのライブDVDとかCDとかリリースされないか知らん。もう全部買います。躊躇はしません。
憲法廃止が宣言され、上下両院・内閣・憲法裁判所が停止された戒厳令下の社会がどのようなものなのかボクは知らないが「戒厳令下」という曲はよく知っている。

「戒厳令下」はソウル・フラワー・ユニオンの『ワタツミ・ヤマツミ』に収録されている『ワタツミ・ヤマツミ』は1994年10月に発表された彼らの2枚目のアルバムだ。
ソウル・フラワー・ユニオンはニューエスト・モデルとメスカリン・ドライブが発展的融合を果たしたバンドだ。ソウルフラワーレーベルを運営していた両バンドはライブやレコーディングをともにおこなっていた。
当時、交互にアルバムリリースをしていたニューエストとメスカリンであるが、ソウル・フラワー・ユニオンになって発表されたファースト『カムイ・イピリマ』はメスカリン主導のアルバムで、それに続く『ワタツミ・ヤマツミ』はニューエスト後期に演奏されていた曲がほとんどだった。
ボクのロックゴコロはこの当時ニューエスト〜ソウルフラワーの音に朝も昼も夜も寝ても覚めてもめろめろでした。
ニューエスト後期のライブは毎回スリリングでボクはライブの度に強く激しい官能を味わっていました。
最新型と名付けられたニューエスト・モデルはパンクからロック、そしてブラックミュージックやファンク、民族音楽までアルバム発表毎にどん欲に取り入れ、ライブの度に咀嚼し、常に最新型を目指しているバンドでした。
ソウル・フラワー・ユニオンは『ワタツミ・ヤマツミ』の発表された翌年におきた「阪神・淡路大震災」直後より、ユニオンと平行してソウル・フラワー・モノノケ・サミットの活動を始め、次第にボクのロックゴコロを激しく揺さぶることはなくなっていった。『シャローム・サラーム』 『極東戦線異状なし!? 』はよかったんだけどなぁ・・・。
そんなソウルフラワーの21世紀の発表された曲をまとめた『ゴースト・ヒッツ 00〜06』が最近発売されました。初回プレスは5曲入りのDVDも突いていてかなりお得です。どうせなら80年代後半からソウル・フラワー結成頃までのライブDVDとかCDとかリリースされないか知らん。もう全部買います。躊躇はしません。
2006年09月20日
詮無い。
仕事で使っているバイクの前輪がパンクした(仕事にもつかっているし、通勤にも使っている。さらに私用でもつかっているオールマイティなバイクなのだ)。前輪に押しピンのようなものがささっていたのでは仕方あるまい。馴染みのバイク店までおそるおそる乗っていくと、「ハイ、交換ですね」とさらっと云われる。7500円が高いのか安いのか知らないけれど、7000円にまけてくれた。しかし想定外の出費であることには違いない。
もう財布のなかにない7000円をイメージしたところで詮無いことであるが、7000円あればあれとそれとこれが買えるとか考えてしまう。
なくなると余計にあれも欲しいこれも欲しいもっと欲しいもっともっと欲しいと歯ぎしりゆききするおれは一匹の資本主義の犬なのだ。
もう財布のなかにない7000円をイメージしたところで詮無いことであるが、7000円あればあれとそれとこれが買えるとか考えてしまう。
なくなると余計にあれも欲しいこれも欲しいもっと欲しいもっともっと欲しいと歯ぎしりゆききするおれは一匹の資本主義の犬なのだ。

2006年09月19日
秋刀魚のお寿司
敬老の日のプレゼントを奥さんの実家へ届け、夕食にやよい寿司のお寿司をいっしょにいただきました。
いつものにぎり寿司の盛り合わせに加えて、とろさんま棒すしを食べました。今日は台風の影響もあって暑い一日でしたが、秋の味覚を楽しみました。脂がのったサンマはトロリと溶けるようでかなり旨かったです!ごちそうさまでした。

敬老の日なのでやよい寿司も繁盛してるみたいでした。
■やよい寿司HP
2006年09月19日
草を抜く。
台風は予報より北向きに進路をとり北上したので、京都は雨もたいして降りませんでした。おそらく北陸の方も・・・。泊まりで釣りにいけたなぁと朝、空を見上げて落胆しました。
午前中は庭の草抜きをしました。1年近くの間、放置していた庭は雑草が子どもの背丈ほど伸びていました。息子もいっしょに手伝っていたのですが、最初だけでした。あげくの果てにおしっこを垂れる始末。家の中でなく庭でよかったとほっとしてもしようがないのですが、しきりに声をかけないと息子は自分からおしっこにはいかず、この頃はおしっこタレちゃんです。
ゴミ袋が3袋いっぱいになりました。突然草抜きをしたのは10月から京都市でゴミの有料科が始まるからです。うちの近くのゴミ収集場所でも9月にはいってゴミの量が増えています。
家庭ゴミのゴミ袋は45リットルのものが45円。けっこう高いです。
ゴミを減らすのはもちろん必要なことなのですが、京都市はゴミの分別ももっとしないといけないのでは、と思います。分別するのは面倒なことなのですが・・・。
■京都市 家庭ごみの有料化
2006年09月19日
秋の釣行記2
昨日は滋賀県北部の川へ。携帯で記事をあげるつもりが、ダム上流はまったく人の住まないところで電波も圏外、リアルタイム釣行記は書けませんでした。
晴れていたのは午前中だけで、午後からはどんよりとした雲がまたたくまに空全体を覆いました。
ダム上の林道は崖崩れがあって通行止めになっていたので、車で最上流にはいけず、落石現場を越えたところから入溪。Tさんとふたりでのんびり釣り上がりました。
フライを始めた頃、一番よく通ったのが安曇川とこの川でした。10年位まえのことです。当時は河原に草が長く生えていて、釣りあがるのがたいへんな区間が多く、そのためネイティブのきれいなアマゴやイワナが残っていました。大きな川ではないので釣れる魚は20センチ前後がアベレージでした。
その後、大雨による増水で河原の草や背の低い灌木がごっそり流されてしまい小さな石の河原が広がるようになり釣り上がるのは随分楽になりましたが、それ以来、魚の数が減ったように思います。それでも林道は毎年のように落石があり、しばしば通行止めになるので、かろうじて魚が残っているという状況です。
昨日もずいぶん長い距離を釣り上がったのに、10センチほどのアマゴが2匹釣れただけでした。
林道の脇で見つけたカモシカの頭骨。サルの群れやシカの群れも見ました。
夕方になって雨が降り始めたので川からあがりました。車を停めたところまで1時間くらいかかりました。たどりつく頃には足が、がくがくしてました。体力はもう残っていません。