2011年01月25日
リラのホテル

『リラのホテル/かしぶち哲郎』
ムーンライダーズのかしぶち哲郎が1983年に発表したファーストソロ。リリース当時、サウンドストリート(たぶん)で数曲聴いてから長い間気になっていた幻の一枚(僕にとって)をついに見つけて購入(アマゾンで5000円以上の値段がついているのですが、それはちょっと・・・)。
全面的に矢野顕子がサポートし、バックミュージシャンも坂本龍一や細野晴臣が参加。MIDIからリリースされていることからもわかるようにムーンライダーズ人脈ではなく矢野顕子人脈でレコーディングされています。裏ジャケも矢野顕子(80年代よりもさらに才気が際立っていた70年代後半の頃の雰囲気!)のポートレートになっています。
というわけで、注文してから届くまで、何回も送付状況をチェックするほど楽しみにしていました。なにしろ28年ぶりに再会するのですから・・・。
しかし、28年の歳月はそらおそろしいもので、全く記憶していた感じと違いました。もっとヨーロッパダンディズムというか、耽美的な雰囲気をイメージしていたのですが、シティポップスとか、曲によっては“こどものうた”な感じです。大人の雰囲気は僕には感じられませんでした。矢野顕子とのデュエットもいかにもデュエット然としていて少し恥ずかしいです。
期待が高かった分その前フリについては無限に言葉を連ねられそうなのですが、聴いたあとの感想について湧き出る言葉がありません。残念です。もう少し聴きこめばなんとかなるのでしょうか?
■かしぶち哲郎HP
■ムーンライダーズHP
2011年01月24日
深夜のカレー

今年、2回目のカレーはジャワカレー(甘口)とディナーカレー(甘口)のコラボです。
じゃがいも、にんじんに加え贅沢にもマッシュルームがけっこうはいっています。
しかし、ジャワカレーをいれながらスパイシーさに欠けます。まだ寒さの厳しい冬の夜とはいえ、汗をまったくかかないカレーはものたりません。
今回も寸胴鍋にたっぷりあるので、明日以降に期待です。こっそりスパイスを足してやろうか・・・。
2011年01月23日
出町のユリカモメ

出町の賀茂大橋の欄干にユリカモメが並んでいました。
夕方になると数百羽もの群れが東山を超えて営巣地の琵琶湖へ戻るために輪を描きながら高度をあげていくのを見ることができます。気がついたひとのほとんどがしばらくその雄大な姿に見とれて、空を暫し見上げています。
2011年01月22日
TVのない生活
世間の地デジ化が7月にせまる中、我が家ではアナログ放送が昨年12月に終了してしまい、それ以来、テレビのない生活を送っています。
我が家の屋根の上に従来のアンテナはついているのですが、実は電波障害のため、その電波障害をうんでいるマンションの共同アンテナを通じて、これまでテレビを観ていたことを知ったのが昨年の秋のはじめの頃でした。
地デジ化にともない電波障害が解消されるため、アンテナの供給を12月で廃止すると連絡があったのでした。11月のエコポイント騒動のときに地デジ対応テレビを購入しようとしていたのですが、忙しくて断念。12月10日なり本当にテレビが映らなくなりました。只のモニターになりさがってしまったのです。
僕自身はあまりテレビを観ないので、地デジ化の波に積極的にのれなかった弊害も少ないのですが、そのとばっちりを受けたのが小学1年の息子です。週に一回DVDを借りてくることだけで、平日はまったくテレビをみない生活を送っています。よっぽどヒマなのか、自分で本を読むようになるなど、テレビがないことで充実した面もあります。
ところがサッカーのアジアカップがはじまって、どうも不自由でたまりません。結果はネットや新聞で知ることができるし、YOUTUBEでもダイジェストがアップされているのですが、やっぱりライブ放送で観たいのです。ことに昨夜の日本対カタールのような点を取り合った末の逆転勝ちだと、やっぱり物足りないのです。我が家の方針とか、考えとか、大層なことは全然なくて、地デジにしていないのは僕が面倒くさがりだっただけなのです。
次ぎはどう間違っても盛り上がる韓国戦です。でも今さらどう急いでも間に合いそうにありません。
我が家の屋根の上に従来のアンテナはついているのですが、実は電波障害のため、その電波障害をうんでいるマンションの共同アンテナを通じて、これまでテレビを観ていたことを知ったのが昨年の秋のはじめの頃でした。
地デジ化にともない電波障害が解消されるため、アンテナの供給を12月で廃止すると連絡があったのでした。11月のエコポイント騒動のときに地デジ対応テレビを購入しようとしていたのですが、忙しくて断念。12月10日なり本当にテレビが映らなくなりました。只のモニターになりさがってしまったのです。
僕自身はあまりテレビを観ないので、地デジ化の波に積極的にのれなかった弊害も少ないのですが、そのとばっちりを受けたのが小学1年の息子です。週に一回DVDを借りてくることだけで、平日はまったくテレビをみない生活を送っています。よっぽどヒマなのか、自分で本を読むようになるなど、テレビがないことで充実した面もあります。
ところがサッカーのアジアカップがはじまって、どうも不自由でたまりません。結果はネットや新聞で知ることができるし、YOUTUBEでもダイジェストがアップされているのですが、やっぱりライブ放送で観たいのです。ことに昨夜の日本対カタールのような点を取り合った末の逆転勝ちだと、やっぱり物足りないのです。我が家の方針とか、考えとか、大層なことは全然なくて、地デジにしていないのは僕が面倒くさがりだっただけなのです。
次ぎはどう間違っても盛り上がる韓国戦です。でも今さらどう急いでも間に合いそうにありません。
2011年01月21日
『遥かなる山釣り/山本素石』

昨日アップした『ライズ戦記』のなかでも言及があったのが山本素石の『遥かなる山釣り』だ。
『ライズ戦記が1980年代から2000年位の釣りのシーンを描いているのに対して『遥かなる山釣り』で描かれているのは終戦後から1970年頃の釣りの風景だ。山本素石は京都を中心に北陸や岐阜、まだ現在のように高速網がなかった時代に東北青森や九州にまで足を伸ばし、韓国の溪魚にも思いを馳せるのだ。
九頭竜水系や長良川、荘川など、なじみの川が出てくるのが嬉しいのだけど、川の様子は今と全然違う。なにしろ手取川の蛇谷は“イワナが七分に水が三分”という評判があったほどだ。水よりイワナの方が濃い川なんで、養魚場の密度か、それ以上だ。まさに釣り師にとっての桃源郷だ。シャングリ・ラだ。補陀落だ。ドラエもんが居たらタイムマシーンとどこでもドアを狩りてまず僕はそこくへ行くよ。もちろん釣り竿をかついで。
魚釣りだけでなく、京都大学の今西錦司博士の依頼で長良川のシラメについての考察を深めたり、山村に残っていた夜ばいの風習について聞き書きしているのも豊かな日本の原風景を語る上でのアクセントとなっている。それは今から数十年前のことだ。まったくイメージができないほど昔のことではに。父親や祖父母の時代のことだ。
川を取り巻く環境はかわってしまったのだけれども、釣りを通じて味わう感情は今もそう変わらない。開高健も記したように「一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい」と、いうことだ。山本素石と彼の気のおけない仲間との釣行記を読むと僕は強くそれを感じるのだ。
2011年01月20日
『ライズ戦記』を読む

『ライズ戦記―ライズを追ったフライフィッシャー20年の軌跡/増田千裕, 角敬裕 』つり人社
私はライズを放棄するより、まっとうなサラリーマン生活を放棄する道を選んだのだった。(中略)そしてついに私は東京での生活もあきらめ、川辺に移り住む決心をした。
フライフィッシャーの連載をまとめた『ライズ戦記』を読了。連載時も楽しんで読んでいたのだけど、まとめて読むとその釣りキチぶりに圧倒されます。著者の増田さんは、“川辺に移り住む決心”をし、まだ寒さの残る2月末の渓流釣りの解禁前日から狩野川の河原にテントを張って数ヶ月間、魚釣りに没頭し、フライフィッシグの重要な要素である種々の水生昆虫の羽化を追い続けます。
狩野川から富山の山岳渓流、そして南紀の渓流へライズを求めて流転していきます(本書では、その詳細は書かれていないのですが、その合間にパタゴニアの川とトラウトを網羅する旅もしています。僕が増田さんの名を知ったのはそのパタゴニア釣行の連載でした)。狩野川だけでなく、富山の常願寺川でも9日間のテント合宿をし、南紀の川を攻めるにあたっては大阪の知人の家に転がり込む始末です。フライフィッシングに対してストイックに向き合うその姿に、ぐいぐいと引き込まれてしまいました。
そしてその釣行記を、豊かなテキストにしているのが井伏鱒二や佐藤垢石、山本素石、芦澤一洋ら先人が残した釣行のエピソードの引用です。釣り好きの系譜は連綿と続き、途絶えることがありません。増田さんの情熱は次ぎの世代へとまた引き継がれるに違いありません。
残念なのは、写真のクオリティ。白黒のコントラストが全体にきつくて非常にもったいないです。定価1890円なので、カラーグラビアがはいればきっと2000円を超えるのは免れないだろうし、それは確かに高過ぎます。そうするとiPadは持ってないけど、澄んだ流れや美麗な魚の写真がたくさん載っているのなら電子書籍というスタイルもいいなぁと思います。雑誌連載時以上に写真があったり、その川のグーグルマップにリンクしていたりすると便利だもんなぁ。ヒットフライのタイイングページや水生昆虫の詳細な生態情報にリンクするのも有効だ。ヒットシーンを動画で見れると臨場感も得られるし。
これ、だれか企画してくれませんか?