2009年02月15日
2009年02月15日
2009年02月13日
サスケと仲間たち、そして天照の黒い炎

『NARUTO 巻ノ45 ~戦場、木ノ葉!!』
サスケ率いる鷹チームと八尾=キラー・ビーとの戦いは、サスケの月読を、尾獣をコントロールすることによってあっさりと破ったキラー・ビーがさらに八尾を解放することにより圧倒的に優位になります。身を呈してサスケを守ろうとする水月、自らのチャクラを分け与えサスケの快復を促す重吾、香燐にサスケは一瞬、木の葉の仲間たちを思い出します。
八尾を目の前にして、水月、重吾、香燐の想いがフラッシュバックし、その向うにナルト、カカシ、サクラの姿を感じたサスケのシーンがこの巻の白眉であり、いつか行われるであろうサスケとナルトの最後の闘いの後を暗示しているように感じます。
そしてサスケは万華鏡写輪眼を廻し、天照を発動させます。イタチから託された天照の黒い炎は八尾を覆い、形勢は一気に逆転し、闘いそのものを終わらせてしまいます。さらに逃げ損ねた香燐に燃え移った黒い炎をサスケは仲間に対する強い想いで消してしまうのです。
八尾(ダミーだったのですが…)を狩った「暁」は、さらに九尾=ナルトの捕獲すべく、ペイン自らが木の葉の里に乗り込みます。六人のペインを前にして、対等に闘うことができるのがカカシひとりしか里に残っていなかったのが木の葉の不運というか、意外に人材不足を感じさせます。他にもたくさん上忍が居るはずなのに、ペインに好き放題やられています。
さらにがっかりなのが、ナルトの仙術修行がわりと簡単にというか早くすすむところ。影分身をうまく使っているのかも知れませんが、わずか数日で仙術を身につけるとは…。ちょっと納得がいきません。いくら主人公とはいえ(その体内に宿している九尾のチャクラの量が膨大であったとしても)、簡単に強くなりすぎでは。修行シーンはつまらないので、さっさと進むことに対しては問題がないのですが、もう少し時間の経過に気をつかって欲しいのだ。
とはいえさらに雷影と雷の国の小隊が新しいキャラとして登場。ペインと輪廻眼の謎についてもまだ断片的にしか解けていないし、おそらく六道ペインを倒したあとに輪廻眼を持つ長門が出てくるはずで、『NARUTO』はまだまだ続きそうです。
2009年02月10日
玉をとって走る

日曜日、近くの公園で息子の自転車に付いている玉を取って走る練習をした。
最初は全然ダメで、すぐに足を付いてしまったり、転倒したりして途方もないチャレンジのように思えたのだが、走り出してしばらく支えてから離していた手を、走り出すと同時にすぐに押し出すように離してやると、突然自分でバランスをとって走れるようになった。
お昼前からはじめた練習は、途中、公園の近くの天下一品ラーメンを食べたあとも続けられた。
保育園の同級生が偶然、やってきて(彼はもう玉なしの自転車を乗りこなしていた)からは、彼を追いかけるようにして走ることで、顔をあげ、前を向いて走ることができるようになり、一気の走る距離が伸びた。公園の中をぐるぐるとまわれるくらいには走れるようになったのだ。
息子の奮闘を見ていると、はじめて自転車の玉をとって走ったときに感じたふわふわとした不思議な感覚とうれしい気持ちを微かに思い出した。息子はこの日のことを大人になっても覚えているのだろうか。そう願う僕のセンチメンタルな気持ちは叶うのだろうか。
夕方の帰り道、平坦な公園では気持ちよく走れるようになったのに、帰り道は坂道があったり、車が通ったりしてまったく勝手が違い、走り出すこともままならず、さっきまで出来ていたことがまったく出来なくなってしまい息子は何度も泣いてしまいました。

2009年02月06日
『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』を観た

大津まで遠征して、『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』を観てきた。
ストーンズとマーティン・スコセッシのコラボがつまらないものになるわけがなく、ロックエンタテイメントとして、最高の映画でした。
特にオープニングまでのストーンズ(特にミック・ジャガー)とスコセッシのせめぎ合いがたまらない。セットリストを「出せ」、「出さない」というままに収録日当日を迎えてやきもきするスコセッシを尻目にストーンズはこの日の主賓であるビル・クリントンの相手に余念がない。刻々と迫る時間に、スコセッシは焦れて焦れて焦れて、ようやく開演間近にセットリストが手渡され、同時に幕があく。
“ジャンピング・ジャック・フラッシュ”だ!
もうそのシーンだけで感極まるのに、歌いだしたミック・ジャガーの動きにまったく目を奪われる。冒頭からしばらく、生で観ているかのようにテンションがあがってしまった。その場で立ち上がって歓声をあげたら、もっと楽しかったに違いない。
ライブ会場の最前列を占めるのはモデルさんみたいなひとばかり(仕込みなのか?)で、その後ろもちょっと小金を持ってそうな客の方が多くて、ストーンズのテンションに比べると、どうも観客の盛り上がりが普通のコンサートと変わりなく、それがちょっと気になった。ストーンズを観ているというのみんな余裕があり過ぎなのだ。
1990年のストーンズ初来日を僕は東京ドームのスタンド席で観たのだが、ステージの上の彼らはほんとうに小さくて、どうにも頼りない気持ちになったのだけど、この機会を逃したらもう二度と観ることができないと思っていた(それから何度も来日してるけどな)。
それから20年近くたってストーンズのメンバーは皆な60代だというのに、あいかわらず(実は80年代よりもずっと)元気そうで、これからだって何度もツアーをやってくれそうだ。その「永遠」な感じが、エンタテイメントとしては最高なのだが、逆にミュージシャンと観客との間で結ばれる刹那的で密接な関係性が希薄になったような気がした。
いや、ストーンズに問題があるのではなく、おそらく観客のヤッピー(って今でもいうのかな?)たちが悪いのだ。そういう意味ではミック・ジャガーが当初予定していたリオでの野外大コンサートの方が、ロックらしい映画になったかもしれない。
とはいえ、それはまったく贅沢な悩みなわけで、最後まで素晴らしい映画でした。
余談ですが、昔のチャーリー・ワッツは『ノー・カントリー』のハビエル・バルデムと顔がいっしょで怖い!
■『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』HP
■滋賀会館シネマホールHP