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2009年05月09日

僕たちには忌野清志郎がいた


『Baby a Go Go / RCサクセション』

かってアントニオ猪木と藤波辰巳の試合で古館伊知郎は「ビートルズはお兄ちゃんのものだった。 安保には間に合わなかった。僕たちには何もなかった。 しかし、アントニオ猪木がいた」と実況した。

僕が音楽を聴き始めた80年代前半には「ビートルズはもうなかった。ストーンズは決して来日できなかった。ボブ・ディランはよくわからなかった。クラッシュやピストルズには間に合わなかった。僕たちには何もなかった。しかし、忌野清志郎がいた」のだ。

忌野清志郎は少年のようなシャイネスと童貞のようなナイーブさをもっていた。同時に大人のしたたかさとずるがしこさも持っていた。さらに幼児のように残酷でもあった。そしてそれらを全部ユーモアで包むこともできた。

ロックの神というよりは悪魔なんだけど、天使のようにイノセントな笑顔で笑うことがあった。世間のしがらみや重力から徹底的に自由でありながら、社会的な存在でもあった。

あの声とあの歌で、大きな愛で包みこみながら、おまえ自身はどうなのだと鋭く追及した。

かって世界は単純で「RCを聞いているか?清志郎が好きか?」でいろいろなことを判断することができた。仲間と敵を見分けるのは簡単だった。

「大人だろ 勇気をもてよ」と清志郎は歌ったのだが、僕は勇気を持っているのだろうか。