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2012年04月15日

『山漁 ~渓流魚と人の自然誌〜/鈴野藤夫』


『山漁 ~渓流魚と人の自然誌〜/鈴野藤夫』(農山漁村文化協会)

タイトル通り渓流魚“ヤマメ・アマゴ・イワナ”と人との関わりについて広範に書かれた本。目次は以下の通り、「渓流魚の博物誌」「魚止考」「渓流魚の漁法」「保存と食法」「渓流魚の伝説」「職業漁師」「伝統釣法」「渓流魚の民俗」「釣魚余談」「川虫の民俗」となっており、渓流釣りをするひとなら何処から読んでも興味深い内容になっている。

江戸時代を含む多くの川や魚に関する文献を引用し、また1000ヶ所以上を訪れたという渓流釣りを通し、実際に見聞した内容を盛り込んでいる。そこで思うのが、いつものことであるが、かっての渓流の個性的で豊潤な姿だ。川の流れは決してとどまることがなく、瞬間瞬間違った様子を見せている。それ故、地域によって違った漁法が発展するのだ。同じ景色などどこにもないのだ。しかし林道の開発、森林の伐採、堰堤の設置と、ひとは目先の経済的な利益だけを目的に、“便利”を旗頭に掲げて全てをフラット化してきたのだ。

著者の鈴野氏は昭和21年生まれ。都市から農村、山間部へと開発の進む日本の高度成長とときを同じくして成長してきた。そしてそれは文献だけでなく、各地域に残る文化をギリギリ取材できた世代だ。僕が釣りをはじめた頃には、車でどこへでも行けるし、どんな山奥の谷にも堰堤があって、その脇に伸びる林道を歩くことができたのだ(そしてそれを釣れない理由にしてきた!)。

といった僕の愚痴はともかく、内容はすばらしくどのエピソードも興味深い。なかでも“滝太郎”や“漁師を呑んだ大イワナ”の項がある「渓流魚の伝説」は釣り人の夢を際限なくかき立ててやまない。今も、深い山奥の大きな淵の底には大イワナが居るに違いないのだ。

日本は、その国土のほとんどが山地で、しかも年間を通して雨がよく降る。それは、この国に豊かな渓流があるということだ。平野部で育った僕には、コイやフナのような魚がひとの生活圏内と同じところに居て、密接に繋がっているイメージがあった。渓流釣りをはじめるまでは、イワナやヤマメは『釣りキチ三平』の中と、人が稀にしか足を踏み入れないような山深い谷の奥にのみ生息するものだと思っていたのが、渓流魚もひとの生活の近くに棲み、それぞれの時代にそれぞれの暮らしと密接な関係があったのだ。全編を通じて、人と渓流魚のつながりについて、理解を深めることができる好著だ。

鈴野氏には他に『峠を越えた魚―アマゴ・ヤマメの文化誌』や『魚名文化圏 イワナ編 』などもあって、ぼちぼち探して読みたいと思います。

   


Posted by もり at 14:32Comments(2)ホン