2010年10月26日
西部八月の夢

今朝の読売新聞にヨシダミノルさんの訃報が掲載されていた。美術家のヨシダミノルさん。享年75歳。
ヨシダミノルさんのことを知ったのはあの夏のフリーコンサートのことだ。
1992年の夏、西部講堂の屋根の改修費用を集めるために「西部八月」と題されたイベントが開催されたのだが、その最初が8月1日のボ・ガンボスのフリーコンサートだった。西部講堂の改修のためのイベントにフリーコンサートとは、なんだかおかしな話しなのだけど、とにかくあの夏の日に僕らは西部講堂前広場に集結したのだった。
ボ・ガンボスの連中は四条あたりからトラックの荷台の上で演奏しながら、ゆっくりとパレードを続け、東大路通を北上して、西部講堂前広場にはいってきた。そのままトラックの上で第一部がはじまった。ニューオリンズの復活祭、マルディグラの恰好をした彼らがビーズのネックレスをばらまき、西部講堂の持つ独特の空気を相まって、祝祭空間としてのステージが展開されていたのだ。
休憩をはさんで西部講堂前に組まれたステージで第二部の演奏がはじまった。次第に日が暮れていくなかで、真夏の濃密な空気に風穴を開けるようにステージの設置された大きくてカラフルな風車がまわっていた。
ヨシダミノルさんがその風車と舞台を作りあげたのだった。ライブ中にステージにあがったヨシダさんは、どんとと同じように幸せそうな笑顔をふりまいていた。
当時、発売されたVHSビデオを僕は持っているのだけど、収録時間が1時間程しかなく、どうしようもなく中途半端だ。この日のライブこそ完全版のリリースをすべきなのだ。パレードの最初から、最後トラックに乗って演奏しながら退場していったその先まで、一部と二部の間の休憩時間も含めて、寸分のカットもない完全版で、この夏の日の空気を、もういっかい体感したい。ライブがアルバムよりずっと素晴らしかったボ・ガンボスの奇跡の頂点がこの日のライブであることは、誰も異論がないはずだから。
西部八月から18年。いまだに屋根の大きな三ツ星を掲げた西部講堂は健在なのだけれども、講堂前の広場は新しいクラブハウスが建って、ずいぶん狭くなってしまって、ずいぶん様相がかわってしまった。