トランジスタ・ラジオ

もり

2009年05月12日 22:09


『PLEASE / RCサクセション』


はじめて清志郎をみたのは坂本龍一とやった「いけないルージュ・マジック」だった。そのあとベストテンで「サマーツアー」がランクインしているのをみたのだけど、小学生だったので、どっちかっつーと怖かった。

中学3年生の頃から洋楽を聴くようになって、日本のロックにも興味をもつようになり再びRCサクセションにまみえることになる。で、それから高校時代を通じていちばん馴染みの深かったナンバーが「トランジスタ・ラジオ」だ。

とにかく地方都市ですらない何もない田舎町にレンタルレコード店はあったものの、ちゃんとしたレコードプレーヤーを持っていなかった僕はラジカセだけが音楽に触れることができるかけがえのない機械で、週間FM(当時はFMの番組表と音楽情報メインのFM誌が数誌出ていた。週間FMには清志郎が『忌野旅日記』を連載していた。今でもかわりのないタッチの絵が文章に添えてあった)で曲目を確認しつつ、とにかくいろんな曲をエア・チェックしていた(もちろんベスト・ヒットUSAとMTV、ポッパーズMTVは見逃さなかった。でもうちにはビデオがなかった・・・)。

「サウンド・ストリート」と「クロス・オーバー・イレブン」。そして平日の夕方に小嶋さちほがDJをしていた番組とか、地方局のリクエスト番組(RCの曲で“ベイビー”と云わない曲として「不思議」がかかったのを覚えてる)があって、カセットテープに録音して気に入った曲をダビングしていた(ダブルカセットだったのだ!)。

その頃の香川に民放のFM局はなくて、やたらクラシックばかりかけているNHK-FMだけが僕の音源だったのだが、もしかするとその頃がいちばん自由にいろんな音楽に触れていたかも知れない。

「トランジスタ・ラジオ」のように屋上での甘い思い出はないのだが、ベイエリアや リバプールから届くナンバーに僕は耳をすまし、ちっとも開かれているように思えない未来に不安になったりした。でもそんなときも清志郎の声はいつもポジティブで僕にもなにかが起こせそうな気がしたのだ。

 



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