地蔵盆と京大農学部の地蔵伝説。

もり

2006年08月21日 01:34

 今日は地蔵盆でした。近くにある小さな児童公園にこども達が朝から集まりました。四国では地蔵盆という行事がないので、これまで地蔵盆と云われてもぴんとこなかったのですが、息子も3才になり今年からフル参戦です。
 
 子供の祭りだと前日から聞かされていた息子は浴衣をひっぱり出してきて臨戦体勢ばっちり、気合十分です。

 午前中は歌のお兄さんが歌を唄ったり、輪投げや飴釣り、輪ゴム鉄砲で遊び、午後からは特大絵本を読んだり、人形劇があったりとかなり盛りだくさんな内容でした。最期にビンゴゲームがあってミニカーが当って大喜びでした。
 
 
 今出川通から志賀越え道に入るところにある子安観音と並んで立つ祠に納められた小さな地蔵が町内のお地蔵さんになるのだが、もう少し西にいくと京大農学部のなかにも数体のお地蔵さんが奉られている。農学部の工事のときに地中から出てきた地蔵で、しばらく放置していたら事故が続いたので改めて奉納したらしい。
 北白川辺りから百万遍にかけてはかって扇状地で今も4〜5メートル掘ると白い砂がでてくるということだ。街道沿いに並んでいた地蔵が洪水など(昔はよくあった)で流されて、農学部に集まっていたのではと推測されているらしい。
 今日、町内のひとに聞いたちょっとおもしろい話でした。
 北白川小学校の生徒が古老などに聞いた話をまとめた「北白川こども風土記」という1959年に出版された古い本にその辺りの話が詳しく書かれているそうだ。

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