『ドラゴンは踊れない /アール・ラヴレイス』
『ドラゴンは踊れない /アール・ラヴレイス』(みすず書房)
本の帯に書かれた“ドラムが鳴り、抵抗のダンスが始まる。世界の片隅に生きる人々の希望を賭けて、バンドマン、スラムのごろつき、そいて恋する者達が踊る、カリブ海文学の傑作”という惹句に惹かれて買った本書。
読み始めてすぐ、序章の終わりに次のようなテキストがあって、期待が高まる。
ダンス!カリプソにはダンスが宿っている。ダンス!歌が近所の人の死を悼むものだとしても、音楽があくまでも踊れ、という。兄弟が巻き込まれたやばいもめ事についての歌詞であっても、音楽が踊らなきゃ、というのだ。痛みを称えて踊れ。ダンスしろ!毎日死にそうなほどひどい目にあってるって、じゃあ踊れ、政府は知らんぷりだ、なら踊れ!女が金をもってほかの男と逃げた、さあ踊れ。踊れ、踊れ、踊れ!踊りには邪悪なものを退け、自分を守る力がある。ダンスは悪魔の力を断ち切る、呪文なのだ。ダンス!ダンス!ダンス!カーニヴァルがこの丘の谷という谷すべてに、この力強いダンスをつれてくる。
そして登場人物の魅力的なプロフィールが過去から現在まで章ごとに丁寧に描かれ、中盤までは、期待以上に期待がふくらんで、時代背景や作品世界を深く理解するための解題に目を通すのももどかしい程に、先へ先へとページを繰ったのだが、中盤以降“抵抗のダンス”は尻すぼみする。狂騒のカーニヴァルは夜明けとともに終わりを迎えるのだ。
解題や解説にも書かれていたように、この作品の舞台となったトリニダード・トバゴでは、自治権の拡大とともに自然な独立(いろいろな差別や貧困の問題があったにせよ)が達成された島なのだ。流血の革命により力づくで権力を勝ち取ったわけでないのだ。
物語のクライマックスで、振り上げた拳(それは気分だけの革命行為)も誰かに突きつけられることもなく、そのままゆっくりとおろされる始末で、帯の惹句はまったくの空回り状態で、過去と現在と未来が反復されるリズムのように繰り返されることを示唆している。タイトル通り『ドラゴンは踊れない』ままなのだ。
しかし、物語全体をゆるやかに包む倦怠と徒労は、この愛すべきルードボーイ達のどん詰まりの人生を肯定も否定もしていない。少しの運と、少しの努力で彼らの未来は一変する。同じように反復されるスティールパンの音だって、まったく同じ音、同じリズムが永遠に続くことはない。いつだって新しいリズムが、新しい音楽とダンスを作るのだから。
関連記事