『NARUTO 巻ノ60 〜九喇嘛!!〜/岸本 斉史』
60巻では二尾から九尾まで尾獣が勢揃いです。二尾・三尾・五尾・六尾・七尾と八尾・九尾が相対するのを見て、“怪獣総進撃”とガイが思わず呟いてしまったのですが、尾獣と尾獣化した彼らの姿に、忍の面影はどこにもありません。19巻で自来也が「忍者とは忍び堪える者」と大蛇丸に語った言葉からは、何万光年も遠く離れてしまいました。忍びと忍びの個人の戦いはすっかり様相を変えていましまいた。GWにちょっと読み返したのですが、サソリ対チヨバア&サクラの戦いや、デイダラ対サスケの美しい術の凌ぎあいから、本当に遠くまで来てしまいました。
尾獣勢揃いにより、修行によって手に入れた強さとは全く次元の違うところで、戦いが継続していきます。強さのインフレ(紛うことなきハイパーインフレです!)化は加速度的にすすみ、カカシとガイでさえ、すっかり置いてけぼりをくってしまっています。尾獣たちの戦いの場に居ることが、まったく不自然でなりません・・・。
そして、不満の第一等は、九尾(=九喇嘛)とナルトの和解です。狂気と暴力の神である九尾が、聞き分けよくナルトにチャクラを与え、共に戦うなんて興醒めもいいとことです。
いやはや、僕にはちっともおもしろくありません。穢土転生以来、ナルト世界にはまることができません。クライマックスに向けて、徐々に片をつけていくはずの展開が、僕にはちっともココロに響きません。
その中で唯一ぐっと来たのが若きオオノキに掛ける初代(?)土影の言葉です。
「肝心なのは/己の中の/意思じゃ(中略)壁に当たるうち/それを捨て・・・/言い訳し/かわりに憎しみを/拾うことになり/かねん」
村上春樹がエルサレム賞を受賞した際の「壁と卵」のスピーチにも通低するような強い言葉です。前巻でマダラの落とした巨大隕石を、ひとりで受け止めようとしたオオノキの勇気を支えている師匠の言葉です。
そういえばオオノキが巨大隕石を受け止めるシーンを僕は何処かで見たことがあると感じていたのですが、最近それが何なのかはっきりと思い出しました。戦闘メカザブングルでジロンが、巨大ミサイルをウォーカー・ギャリアで見事受け止めるシーンです。ジロンの行動もオオノキのそれも、男の子の無鉄砲な勇気というしかない快挙でした。オオノキの場合は、さらに巨大隕石の追い打ちがあって、勇気は打ちのめされたのですが・・・。
それでもオオノキは再び立ち上がります。倒れても倒れても、彼の意志は言い訳を許しません。そして「塵遁・限界剥離の術」で自分より若い五影たちを鼓舞するのです。
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