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2009年07月28日

よそ者

よそ者
『BLUE / RCサクセション』

“俺たちよそ者”と歌われるとき、俺たちとは清志郎とRCと僕のことだった。

昔、僕はひとりぼっちだった。でもRCやいくつかの音楽を聴いているときや本を読んでいるときはひとりではなかった。

音楽を聴くことや本を読むことはひとりでする行為だけど、その行為に没頭しているときは決してひとりではなかった。音楽や本が僕の心の奥に届いたとき、現実の関係や軋轢、周囲の時間から僕は自由になった。自由だけどひとりではなく、その表現を通じて僕は世界と繋がっていた。

もしかするとそれは現実からの柔らかい逃避でしかなかったのかも知れないけれど、僕は、僕が選んでその時間を過ごすことができたので、今もこうして息をしていられるのだ。


“何から何まで君がわかっていてくれる/僕の事すべてわかっていてくれる/上から下まで全部わかったいてくれる”
「君が僕を知ってる」

“地べたに落とされて/すべてをはがされて/逃げまわらなきゃならない時/かくまってくれるかい?ぼくを/ベッド・ルームだけのsの部屋に/かくまっておくれよ/ぼくには何にもできない/ぼくには説明できない”
「共犯者」


僕は弱虫で泣き虫でナイーブな子どもだった。その頃は、そういう自分をネガティブな感情でしか捉えることができなかったけれど、僕は弱虫で泣き虫でナイーブな子どもだったから、清志郎の歌に出会うことができたのだ。

清志郎が死んでしまっても、その歌が世界を縁取り、今も清志郎の声が、僕の感情の底で静かに流れている。


ところで「よそ者」で唐突に歌われる“けむる港町”というフレーズがロックっぽくなくていつも気になってしまいます。いわゆるロック的な言葉からも清志郎は自由だったのだと肯定することもできるかも知れないけれど、やっぱりおかしいよな。




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