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2009年07月28日

よそ者


『BLUE / RCサクセション』

“俺たちよそ者”と歌われるとき、俺たちとは清志郎とRCと僕のことだった。

昔、僕はひとりぼっちだった。でもRCやいくつかの音楽を聴いているときや本を読んでいるときはひとりではなかった。

音楽を聴くことや本を読むことはひとりでする行為だけど、その行為に没頭しているときは決してひとりではなかった。音楽や本が僕の心の奥に届いたとき、現実の関係や軋轢、周囲の時間から僕は自由になった。自由だけどひとりではなく、その表現を通じて僕は世界と繋がっていた。

もしかするとそれは現実からの柔らかい逃避でしかなかったのかも知れないけれど、僕は、僕が選んでその時間を過ごすことができたので、今もこうして息をしていられるのだ。


“何から何まで君がわかっていてくれる/僕の事すべてわかっていてくれる/上から下まで全部わかったいてくれる”
「君が僕を知ってる」

“地べたに落とされて/すべてをはがされて/逃げまわらなきゃならない時/かくまってくれるかい?ぼくを/ベッド・ルームだけのsの部屋に/かくまっておくれよ/ぼくには何にもできない/ぼくには説明できない”
「共犯者」


僕は弱虫で泣き虫でナイーブな子どもだった。その頃は、そういう自分をネガティブな感情でしか捉えることができなかったけれど、僕は弱虫で泣き虫でナイーブな子どもだったから、清志郎の歌に出会うことができたのだ。

清志郎が死んでしまっても、その歌が世界を縁取り、今も清志郎の声が、僕の感情の底で静かに流れている。


ところで「よそ者」で唐突に歌われる“けむる港町”というフレーズがロックっぽくなくていつも気になってしまいます。いわゆるロック的な言葉からも清志郎は自由だったのだと肯定することもできるかも知れないけれど、やっぱりおかしいよな。

  


2009年07月12日

キング・オブ・ライブ


『THE KING OF LIVE / RCサクセション』

80年代、キング・オブ・ライブと云われたRCサクセションを僕は一度しか観ていません。88年12月23日の大阪厚生年金会館大ホールのコンサートです。

カバーズ騒動があった年の冬のツアー(確か当時のRCは夏の野音とクリスマスの武道館が定番だったはずだ)で、はじめて観るRCに僕は圧倒的された。でもそれははじめてRCを生で観た悦びとは違っていた。

清志郎はカバーズ騒動からずっと溜め込んでいた鬱屈を吐き出すかのようにとげとげしくて、怒りに満ちていた。最期に「愛してまーす」じゃなく、「ざまあみやがれ」と言い放ちライブが終わった(ような記憶がある)。僕はもう完全に打ちのめされ、かってないほどココロを揺さぶられて、わけもわからないまま泣いてしまった。嗚咽がまわりに聞こえるほど涙を流した。しばらく椅子から立ち上がることができなかった。

そのとき、僕のココロに穿たれたRCと清志郎の刻印が、清志郎が亡くなってからこんな記事を書かせているのだ。

そのとき、やっぱりRCはすごい!RCのライブは全部観ないとダメだと思ったはずなのだが、僕の興味はボ・ガンボスとニューエストに移っていってしまい90年にRCは解散してしまう。

その後、清志郎はタイマーズのときと、メンフィスツアーのときに観たのだけど、僕は全然冷静だったのだ。

RCのオリジナルアルバムで唯一持っていないのが『THE KING OF LIVE』で、6月の頭頃、アマゾンで注文したのだけど、まだ届きません。何種類かあるなかで紙ジャケのを注文したのだけど、今はそのときの倍以上の値段になっています・・・。