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2009年05月29日

魔法の声


『ハートのエース/RCサクセション』

 忌野清志郎の声は特別だ。その声はときに甘くやさしく響くのだが、実はひどく破壊的で、排他的でもあった。孤独な誰も寄せ付けない声をしていた。そんな風に聞こえる声を僕はあとひとり知っている。矢野顕子だ。

 清志郎が歌えばどんな曲も清志郎のロックンロールになるように、矢野顕子が歌えばどんな歌も彼女の歌になる。ふたりともふたりにしかない魔法を持っていた。

 矢野顕子はいろんな歌をカバーしているのだが、なぜかRCや清志郎の歌は残していない。「きよしちゃん」という歌まで歌っているのに・・・。

 「湖のふもとでねこと暮らしている」はRCの「山のふもとで犬と暮している」のアンサーソングだといわれている。


   湖のふもとで ねこときょうも暮らしている
   あの山のふもとで 犬と暮らしてるあなた
   いつか犬と二人で 帰らぬ旅に出ても
   わたしきっと あなたを きっと好きでいるから
   (「湖のふもとでねこと暮らしている」矢野顕子)


   離れている時でも ぼくのこと
   忘れないでいてほしいの ねぇ おねがい
   悲しい気分の時も ぼくのこと
   すぐに呼びだしてほしいの ねぇ おねがい
   (「ひとつだけ」矢野顕子&忌野清志郎)


 矢野顕子の『はじめてのやのあきこ』で「ひとつだけ」をいっしょにカバーしているのだが、清志郎は“わたし”を“ぼく”と言い替えて歌っている。清志郎の居ない世界であらためてこの曲を聴くとまた泣きそうになってしまう。

 清志郎の死に際して、矢野顕子は「永遠に友だちです」というコメントを残していた。

   


2009年05月28日

栗本薫も死んでしまった。


『OK / RCサクセション』

RCサクセションが『OK』をリリースした1983年に僕は中学3年で、『グイン・サーガ』を読み始めたのは確かその頃だ。それから25年以上がたったけど、まだ『グイン・サーガ』は終わっていない。そして永遠に終わることはなくなってしまった。

栗本薫が亡くなった。清志郎の死をまだぐずぐずと引っ張っているというのに・・・。

小学校のときからわりと本を読む子どもだったのだが、今もかわらず本を読んでいるのは栗本薫のおかげだ。『グイン・サーガ』だけでなく数々の伝奇ものやミステリー、初期のSFを夢中になって読んだ時期があった。また彼女はぼくらの期待に応え、つぎつぎと新しい本をリリースしてくれた。彼女の本を読んでいると退屈することがなかった。

『グイン・サーガ』は100巻を超えても終わることがなく、なんだか締まらない感じで続いている。またあの頃の熱を帯びた展開がいつか戻ってくるのではないかと、期待して読み続けてはいたけれど、正直、昔のようには興奮して読むことはなかった(あの龍頭がでてきてからおかしくなったのだ)。それでも、もう続きが読めないということは、とても残念でさみしいことだ。グインの豹頭に関する謎や、彼の花嫁が誰かということも、もう永遠にわからないのだ。

栗本薫はまだ56歳だった。70歳や80歳でも現役の作家はたくさん居るし、今のペースで年に6冊刊行だとまだ100巻は読める勘定だったのに・・・。

この頃、グインのあとがきを読んでいると、もういつ死んでもおかしくないような状況だった。彼女はその死を静かに受け入れているようにも思えた。それでも、やっぱり無念だったろう。もっともっと書きたかったはずだ。

今、ちょうど読んでいた深沢七郎の『余禄の人生』のなかに「生きていることは、ほかの人の死ぬことを知ることだ」と書いてあった。

生きている限り、ブルースは続くということだ。清志郎も、そう云っていた。

栗本薫の死も現実だということが、じわりと身に沁みてきた。

長い間、ありがとう。

  


2009年05月25日

大空ひばりと清志郎、そして「こんなんなっちゃった」


『BEAT POPS / RCサクセション』

もしかすると僕が清志郎の名前をはじめて知ったのは江口寿史の『ストップ!!ひばりくん!』かも知れない。

81年の秋に連載のはじまった『ストップ!!ひばりくん!』のなかで大空ひばりが学園祭の朝にステージ衣装であらわれ妹のすずちゃんに“清志郎みたい”と言われるシーンがある(僕が今もっている単行本では1巻の真ん中あたりだ)。

坂本龍一との「い・け・な・いルージュマジック 」のリリースが82年2月。ベスト・テンにも出た「サマーツアー」が82年6月のリリース。まだ中学生だった僕はジャンプの方がずっと大切なアイテムだった。洋楽もほとんど聴いたことがなかったし、ベストテンに出るような歌手以外のことはよく知らなかった(最初にヒット曲以外の歌に興味を持ったのは戸川純だ!中学男子には清志郎よりも戸川純の方が切実だったのだ)。

その「サマーツアー」が収録されているアルバムが『BEAT POPS』だ。僕は90年頃、RCの活動20周年の一斉再発のときにCDを手にいれたのだが、僕の持っているRC、清志郎関連のなかで最も聴いた回数の少ないアルバムだ。ジャケットもテキトーな感じだし、音も軽い(当時のRCはけっこう音が軽い)。印象も薄い。

そういえば清志郎の詩集のタイトルにもなっている「エリーゼのために」がこのアルバムに入っているのだけれども、詩集の方が僕には印象深かったりする。表紙もいい。すごくいい感じだ。


久しぶりにこのアルバム引っ張りだして聞いていると「こんなんなっちゃった」で息子にヘンな歌と鼻で笑われた。  


2009年05月23日

コブラも悩むことがある


『コブラの悩み / RCサクセション』

『コブラの悩み』は抜群のタイトルだ。
コブラのもつ強く明確なイメージと当時の忌野清志郎やRCを取り巻く状況、そしてロックという表現が持つメッセージがうまく合致している。

『コブラの悩み』には『カバーズ』騒動のあとの日比谷野外音楽堂のライブがおさめられている。一曲目はバンドの「アイ・シャル・ビー・リリースト」のカバー。2曲目の「言論の自由」はRCの懐かしいナンバーだ。

1972年にリリースされた『初期のRCサクセション』におさめられている「言論の自由」や終盤に演奏される「あきれて物も言えない」を聴くと、このときの騒動が決して突発的なものでなかったことがわかる。清志郎は1970年前後にバンドをはじめた頃から、社会や権力と同じように戦っていた。そして、それを歌にして歌っていたのだ。

清志郎は感じたことを歌にして、好きな歌を歌う。社会のいろんな圧力を、歌によって軽々を飛び越えてしまう。それも本能的に。感覚的に。いわば思いつきで。(ちょっとしゃれになんないのにアルカイーダズなんてのもあってYOUTUBEで見ることができる)。

村上春樹がイスラエルで語った「壁」と「卵」の話しにあったシステムに対する違和感について村上春樹が小説を書くように清志郎は歌を歌うのだ。


『コブラの悩み』の最後に「君はLOVE ME TENDERを聴いたか?」の出だしだけ収録されている。その頃、清志郎がFM大阪で「夜をぶっとばで」という番組をもっていて、フルヴァージョンを流したことがあった。当然、エアチェックして永久保存のカセットテープに残して大事にしていたのだが、これもまたYOUTUBEで聴くことができるようになっている。5月2日以降いろんな清志郎がアップされているので、いろいろ見ていたら全然終わらない。

 
  


2009年05月22日

マスクの集団と日本を支配するシステム


『カバーズ / RCサクセション』

大阪へいったらタイマーズの恰好をしたひとがたくさん歩いていた。

タイマーズはカバーズ騒動以降の清志郎が、自由に歌を歌い自由に活動するためにつくった覆面バンドだ(公式にはあくまでゼリーが首謀者だが・・・)。

清志郎の立ち振る舞いは冗談だか、本気なのだかよくわからず、きっとRCの他のメンバーは付き合いきれないぜと思ったのだろう(それはまもなくG2と新井田耕造の脱退、そしてRC解散へ続く道であった・・・)。

カバーズ騒動の発端である「ラブ・ミー・テンダー」は原発のことを歌いたかったのか、単に“ラブ・ミー・テンダー”と“何いってんだー”をかけたかったのかよくわからないが、当時の僕には洋楽に勝手に乱暴な歌詞をつけて歌うのがひどく新鮮だった。

『カバーズ』はいつものRCと違ってイレギュラーなパーティーアルバムのようなものだった。曲ごとにいろんなゲストがはいっているし、よく知られた曲ばかりをカヴァーするコンセプトはともかく、その選曲は節操もセンスもないように見えた。

でもその開きなおりが清志郎らしかった。

『カバーズ』収録のなかでは1曲目の「明日なき世界」が出色だ。あと、のちの東京FM事件につながる「谷間のうた」を共作した山口富士夫が参加している「黒くぬれ!」も好きだ(この頃の山口富士夫はティアドロップスをはじめたばかりで、村八分の伝説が最も喧伝されていたような印象がある)。


京都でも新型インフルエンザの感染者が確認されたので、タイマーズブームはさらに加速するはずだ。

でも、感染者が見つかった小学校が休校になるのはともかく、大学がのきなみ休校になっているのは、あきらかに変だ。過剰反応を超えてそら怖ろしくなってくる。日本を支配するおかしなシステムがまた動き出したみたいだ。

この支配から逃げなくてはダメだ。この無自覚に身を委ねると居心地のいいもやっとした空気に寄り添わないようにすること。清志郎が「Baby逃げるんだ」と歌うように。

 
  


2009年05月20日

「私立探偵」と2・3'S


『FEEL SO BAD / RCサクセション』

清志郎の死からまだ間もないGWの最中にガケ書房へいくと清志郎の知らない曲がかかっていた。

ポップで愛嬌のあるメロディを持った曲を清志郎はテンポよく歌っていた。知らない曲だったので、最近のアルバムに収録されている曲だと思った。

ところが家に戻ってRCのアルバムを順番に聴いていると『フィール・ソー・バッド』にさっきの気になった曲が収録されているじゃないか。

その曲は「私立探偵」という曲だった。


清志郎が死んでから、キヨシロー、キヨシローといつまでも騒いでいるけれど、RCのアルバムを全部が全部よく聴いていたわけではなくて、実際にはもう何年も聴いたことがなかったアルバムも実はあった。

『BEAT POPS』や『BLUE』、『フィール・ソー・バッド』はそのあまり聴いてなかったアルバム群なのだが、なじみの薄いアルバムの中に「私立探偵」のようなお気に入りの曲を見つけると、また新鮮な感じでアルバムを聴けるようになってうれしい。


思いつき度満点、メンバーも手弁当的、勝手に格下扱いをしていた2・3'S の『MUSIC from POWER HOUSE』もよい曲(怒りに満ちた「FUCK YOU」や庶民を揶揄する「善良な市民」なんか)が多くて、いったい当時の僕がなにを聴き、何を聴かなかったのか総括しなければならなくなってくる。

清志郎の歌は僕に届いていなかったのだろうか?