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2009年05月28日

栗本薫も死んでしまった。


『OK / RCサクセション』

RCサクセションが『OK』をリリースした1983年に僕は中学3年で、『グイン・サーガ』を読み始めたのは確かその頃だ。それから25年以上がたったけど、まだ『グイン・サーガ』は終わっていない。そして永遠に終わることはなくなってしまった。

栗本薫が亡くなった。清志郎の死をまだぐずぐずと引っ張っているというのに・・・。

小学校のときからわりと本を読む子どもだったのだが、今もかわらず本を読んでいるのは栗本薫のおかげだ。『グイン・サーガ』だけでなく数々の伝奇ものやミステリー、初期のSFを夢中になって読んだ時期があった。また彼女はぼくらの期待に応え、つぎつぎと新しい本をリリースしてくれた。彼女の本を読んでいると退屈することがなかった。

『グイン・サーガ』は100巻を超えても終わることがなく、なんだか締まらない感じで続いている。またあの頃の熱を帯びた展開がいつか戻ってくるのではないかと、期待して読み続けてはいたけれど、正直、昔のようには興奮して読むことはなかった(あの龍頭がでてきてからおかしくなったのだ)。それでも、もう続きが読めないということは、とても残念でさみしいことだ。グインの豹頭に関する謎や、彼の花嫁が誰かということも、もう永遠にわからないのだ。

栗本薫はまだ56歳だった。70歳や80歳でも現役の作家はたくさん居るし、今のペースで年に6冊刊行だとまだ100巻は読める勘定だったのに・・・。

この頃、グインのあとがきを読んでいると、もういつ死んでもおかしくないような状況だった。彼女はその死を静かに受け入れているようにも思えた。それでも、やっぱり無念だったろう。もっともっと書きたかったはずだ。

今、ちょうど読んでいた深沢七郎の『余禄の人生』のなかに「生きていることは、ほかの人の死ぬことを知ることだ」と書いてあった。

生きている限り、ブルースは続くということだ。清志郎も、そう云っていた。

栗本薫の死も現実だということが、じわりと身に沁みてきた。

長い間、ありがとう。