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Posted by 京つう運営事務局 at

2011年04月26日

『kocorono』を観た。



京都みなみ会館でbloodthirsty butchersのドキュメンタリー『kocorono』を観た。

ブッチャーズのことはずっと前から気になっていた。何枚かアルバムも持っている。でもあんまり熱心に聴いたことはない。音はすばらしく恰好いい(バンド名だっていかしてる)のだけど、ボーカルの声があんまり好きじゃないのだ。こればっかはしようがない。

だけど、この映画はそんな僕の性向などまったく関係なくぐっと胸を打つ映画だ。

とにかく23年もバンドを続けるというのはとてつもないことなのだ。『ANVIL』じゃないけれど、評価だけ高くたってそれでメシを食うということはできないのだ。どこにでもあるような居酒屋でビールを飲みながら事務所の社長にマネージャーをこれ以上雇えないなんて相談されたって、20年以上もバンドを続けていればテーブルをひっくり返すこともできないじゃないか。

事務所の社長だけじゃない。バンドのメンバー間でも、温度差はあって、レコーディングやツアーの最中に軋轢がうまれる。カメラがまわっていたって気にしてはいられない。生活も安定しないなかで、気持ちだって擦り切れるだろう。それでも音楽に寄り添って生きていくブッチャーズの姿に切なくなる。

「アーティストやミュージシャンでなくていいんです。しいて言うならバンドをやる人でいいんです」と云うベースの射守矢雄の言葉にバンドマンの心意気と決して折れない心の強さを感じる。バンドの存在自体がもう奇跡なのだ。

そしてなによりボーカル吉村秀樹の眼差しは、熱い意思の固まりで決して負けは認めることはない。何にも寄りかからずに現在地から未来を見据えている。彼がバンドのガソリンでありエンジンだ。燃料はまだ尽きることがない。

ブッチャーズのCDを買おう。

kocorono HP
bloodthirsty butchers HP

  


Posted by もり at 23:46Comments(0)シネマ

2011年03月26日

『冷たい熱帯魚』を観た



京都みなみ会館で園子温監督の『冷たい熱帯魚』を観ました。

冒頭から最後までずっと役者も映像もテンションの高いままで、最後まで一片の容赦も救いっもなく、ぐったり疲れました。自分の体力に合わない重いボウルでボーリングをしたみたいです。心地よさはゼロです。

「愛犬家殺人事件」にインスパイアされたという事前の情報を持って観たのですが、魚の繁殖にまつわるエピソードはさわりの部分だけで、あとはでんでん演じる村田の異様な自己肯定と押しの強さだけで、140分間の映画が展開していきます。こんなひとは僕の周りには居ないけど、実はこういう自我の持ち主がいろんなところで社会を動かしているのでは?と心配になります。

その村田が気の弱い主人公に「おまえは幸せか?」と執拗に問い詰めるシーンがあって、なぜだか僕は『銀河鉄道の夜』の「ほんたうのさいわひ」のことを考えてしまいました。ジョバンニの考える「さいわひ」と村田の考える「幸せ」の違いの幅がこの世界に災厄と戦争をもたらしているに違いありません。そして誰もがその両極を持ち合わせ、あっちの「さひわひ」とこっちの「幸せ」を行ったり来たりしているのです。

あと余談ですが、山奥の細い谷の流れに遺体の肉片を捨てる場面で魚が全部食べてくれるというのですが、アブラハヤしかいないような感じで、ちょっと無理があるような気がしました。ピラニアや肉食のナマズ類をはじめとする熱帯魚の餌にした方がずっと早くなくなるのではと、残酷なことを考えてしまいました・・・。

冷たい熱帯魚
京都みなみ会館

  


Posted by もり at 23:50Comments(0)シネマ

2011年03月16日

京都みなみ会館3–4月号



みなみ会館から3月〜4月の上映スケジュールがはいったリーフレットが届いた。

今月の目玉はなにより園子温監督の『冷たい熱帯魚』だ。京都シネマで『エル・トポ』を観たときに予告を観て、あいた口が塞がらなかったのだけど、みなみ会館でのまさかの連続上映。3月末までのリザーブチケットがあと1枚残っているので、来週仕事の後に観に行こう。

あとは『髪結いの亭主』と『ポンヌフの恋人』のリマスターに、その『ポンヌフ』のジュリエット・ビノシュが主演をつとめるアッバス・キアロスタミ監督の新作『トスカーナの贋作』は観にいきたいなぁ。キアロスタミはずいぶん久しぶりじゃないかな?今はイランで撮ってないんだね・・・。

新年度の会員申し込みの受付も無事にはじまったので、更新にも行かねば。

京都みなみ会館  
タグ :みなみ会館


Posted by もり at 23:56Comments(0)シネマ

2011年03月10日

『暗殺の森』を観た



みなみ会館でベルナルド・ベルトルッチ監督の『暗殺の森』を観るのは2回目だ。

はじめて観たときもダンスホールでのシーンに僕は目もココロも奪われた。そこだけで『暗殺の森』は特別な映画として記憶されていた。そして今回も僕は、ダンスホールの中で織りなされるのは官能に全てを奪われた。そこには華やかさと陰、真実と嘘、未来と過去、孤独と群衆、熱狂と静寂、男と女が表現されていた。

約2時間の緊張と弛緩を含んだドラマはすべてこのダンスシーンの為に用意されたのだ。そのあとの暗い森のなかでの暗殺シーンはおまけのようなものだ。そのシーンに登場する大勢(30名以上はいるのだろうか?)の役者の動き、目線、表情、感情は綿密に演出されカメラは監督のイメージ通りに全てを捉えていく。完璧というのはこのシーンの為にある言葉なのだと思う。死ぬまでにまだ何回でもスクリーンで観たいと思う。

いやはや。映画は総合芸術だというけれど、僕は『暗殺の森』のこのシーンこそ総合芸術のひとつの到達点だと断言するのだ。

   


Posted by もり at 23:58Comments(0)シネマ

2011年03月02日

『アンチクライスト』は京都シネマ



2009年のカンヌでシャルトッロ・ゲンズブールが主演女優賞をとりながら、その内容が物議をかもし日本での上映は不可能視されていたラース・フォン・トリアー監督の『アンチクライスト』が京都シネマで上映されることが決定しました。東京では2月末から上映がスタートしています。

それこそ20年以上前に観た『なまいきシャルロット』と『シャルロット・フォー・エヴァー』でロリータの化身のようだったシャルロットも、『アンチクライスト』の予告を観ると、当時の面影はあっても、もうすっかり40の顔をしています。生々しいシーンとか興味津々だったりするのですが、そんな生半可な気持ちで観ると遥かにでかいショックを受けるみたいです。ホラー・スリラー映画って紹介されてたりもするし・・・。

京都シネマの上映は初夏となっているので、まだちょっと先です。

  


Posted by もり at 23:58Comments(0)シネマ

2011年02月10日

『エル・トポ』を観た



京都シネマで『エル・トポ』を観た。

ジョン・レノンや、ウォーホル、寺山修司が愛したカルト映画。20年ぶりに観る『エル・トポ』はやはり『エル・トポ』でしかなかったのだけど、その感想を言葉にするのは難しい。

黒づくめのガンマンと裸の男の子。小さな村の殺戮。盲目のガンマン。母親思いのガンマン。うさぎと暮らすガンマン。洞窟の中に閉じ込められたフリークスたち。うさんくさい宗教とロシアンルーレット。焼身自殺。

何もかもが意味ありげだ。しかし、世界は意味に満ちあふれているのと同時に、フリッパーズの二人が看過したように「意味なんてない」のかも知れない。カルト映画ともちはやされながらアレハンドロ・ホドロフスキー監督が『エル・トポ』(1970年)の後、『ホーリー・マウンテン』(1973年)、『サンタ・サングレ』(1989年)の2本しか映画を残せていないのはやっぱり不幸なことではないのだろうか(こうしてデジタル・リマスターされて再上映されているにせよ)。

3月には『ホーリー・マウンテン』の上映が同じく京都シネマで予定されてます。

「エル・トポ」HP
京都シネマHP

   


Posted by もり at 23:58Comments(0)シネマ